“6の感覚”がなかった|違和感から見えた、自分の境界

白を基調にしたミニマルなノート風アイキャッチ画像。 左側には「“6の感覚”がなかった」という大きなタイトルと、「違和感から見えた、自分の境界」というサブタイトルが配置されている。 右下には白いペンと小さなリングノートが置かれ、全体に青灰色の小さな点や植物モチーフが散りばめられている。 余白を活かした静かなデザインで、“自分の境界”や“内省”をテーマにした落ち着いた雰囲気の構成。 感覚・認識・観察

あ、そういえば
この「6の感覚がない」って話、
同担拒否の記事を読んだ人のほうが
たぶん理解しやすいかも。

気になる人は、前に書いたこれ👇
※無理に読まなくて大丈夫
『推し』という言葉と、“同担拒否”を構造で見てみた話

この前、記事を書き上げる最中に──
あることに気づいてしまった。

私には「6の感覚」がない。

「6」と番号が付けられた枠の中に、「主」と「私」がひとつの円として完全に重なって存在している図。
主と自分の境界がなく、一体化している状態をシンプルに表現した構造図。

この気づき、けっこう衝撃だった。
だって、推しの話をしてたのに、最終的に「自分の境界」の話になったから。

体験(実験してみた)

えっと……自分、おかしいのかな?と思って、
推し以外の組み合わせでも試してみた。

9種類の図が方眼ノートに描かれている。「主」と「私」の2つの円の位置関係を示した図で、1〜9まで番号がふられている。図は推しと自分の心理的距離や関係性のパターンを表しており、6番では「主」と「私」の円が完全に重なる。
主と私の言葉を他の言葉に置き換えてみてください。

例えば、主と私の言葉を他の言葉に置き換えてみてください。
あなたの仕事と遊びの立ち位置はどこですか?
自然と自分はどうですか?
私はこんな感じでした。

  • 仕事と遊び → 1
  • 自然と私 → 3
  • 私と子ども → 小さい頃は9、今は5


いろいろな組み合わせで試したけれど、
どれも「6」はなかった。

本題(推しと私)

そして話を戻そう。

6って、推しと自分の丸が完全に重なること?
推しと同じ形になって、同じ大きさになるってこと?

……いやいやいやいや……とんでもないな。

推しと自分は全く別の人間であり、一緒にするなんて私にはありえない。
対等……も、たぶんない。
私があるとしたら、1か3か9。
その根底には「尊敬と敬意」。

感覚の整理

3や9のように“溶け込む感覚”はある。
でも、6のような「一体化」は──やっぱりない。
重なることと、同一化することが
私にとっては、あまりにもおこがましくて、ありえないことだった。

気づき(心理の裏側)

ここで気づいたのは、
私にとって「推し」は、
“同化する対象”ではなく“尊敬して眺める存在”だったということ。

…そうか…


近づきたい、認知されたいという気持ちはきっとある。
でも実際、距離は自分からは詰めない。
たしかに、それは今までもそうだった。

たぶん私は、“一体化”という感覚そのものが、どの対象に対しても薄いのだと思う。

これは、推し活の話じゃなくて──きっと「私という人間」の話なんだよな……。

境界を残したまま、想うということ

私には「6(完全に重なる感覚)」は、今のところ思いつかない。

でもそれは、相手を突き放しているからではなく、
むしろ相手を尊重しているからだと思っている。

境界を大事にしながら、
相手の輪郭をそのまま大切にしたいからこそ、
“あなたはあなた”として見ていたい。

そういう距離感の中で、
私は相手を大切にしたいのだと思う。

この「6がなかった」話は、 もともと“同担拒否”を構造で見ようとして書いた連作から、
たどり着いたものでした。
同担拒否って、感情じゃなくて”位置”の話かもしれない。
そう思って図にしていった3本が、下に置いてあります。

『推し』という言葉と、“同担拒否”を構造で見てみた話(前編)
「推し」と「私」は、どこにいる?|9つの位置で見る距離感(中編)
“同担拒否”は、どこで起こる?|位置と侵入感の話(後編)

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