「同担拒否」という感情が、わからなかった。(前編)

白を基調にしたミニマルなアイキャッチ画像。 左側には「『推し』という言葉と、“同担拒否”を構造で見てみた話(前編)」というタイトルが大きく配置され、「感情を、構造で見てみる。」という小さなサブテキストが添えられている。 右側には、「主」を中心に、その外側を「私」の大きな円が包み込む構造図が描かれており、さらに外側には点線の円が配置されている。 全体的に余白を活かした静かなデザインで、“感情を観察・分析する”雰囲気を表現している。 感覚・認識・観察

🪄 皆さんに「推し」はいますか?

向こうは、私のことを知らない。
完全に、一方通行。
なのにこの一方通行を、
こんなに大事に続けてる。
「好き」だけじゃ片付かない、
ちょっと特別な”何か”。

「同担拒否」に出会った

ある日、SNSで他のファンの人たちはどんな感じなのかな〜と眺めていたら、
「同担拒否」という言葉を持っている人たちを見かけた。

同担拒否。
自分と同じ推しを推している人を拒む、距離を置きたい、という感情。
よく語られるのは「他の人と推しを共有したくない」とか、
「他のファンの存在がしんどい」みたいな気持ち。

(ほんとはもっと人それぞれで、そんな単純なものじゃないのは重々承知。ここではざっくりでごめんなさい)

それを見た瞬間の私の反応が、

なになに?それってどんな感情なの?

だった。

……この時点で、私はたぶん同担拒否ではないんでしょうね。

でも、「わからないから終わり」にならなかった。 自分にない感覚って、めちゃくちゃ気になる。 同じ「推しがいる」なのに、 なんで私には「拒否」が発生しなくて、 あの人たちには発生するのか。

愛の深さの話じゃない気がする

最初は「愛の深さの差かな」と思った。 私の好きが浅くて、あの人たちの好きが深いから、拒否が生まれる。みたいな。

でも、これはちょっと違う気がした。

好きの量を比べる話にすると、 「同担拒否=愛が重い人」「しない=ライトな人」 みたいな雑なまとめになる。 そういうことじゃない気がする。

じゃあ、何の差なの。

「構造」で見る道具を見つけた

ぐるぐる考えてたとき、 ちょうど読んでいた『具体と抽象トレーニング』(細谷功)で 「DoubRing(ダブリング)」という考え方に出会った。

2つの概念の関係を、円の重なり方9パターンで整理するやつ。

これ、「推し」と「自分」に使えるんじゃない?

好きの深さじゃなくて、 推しと自分が、どういう”位置関係”にあるか。
そこを先に確かめたら、 「拒否が起きる人・起きない人」の差が見えるかもしれない。

というわけで次の記事では、9パターンの図を使って、 まず「推しと私はどこにいるのか」の位置確認をしていきます。

他のファンの話は、その後で。

(中編へつづく)