あ、そういえば
この「6の感覚がない」って話、
同担拒否の記事を読んだ人のほうが
たぶん理解しやすいかも。
気になる人は、前に書いたこれ👇
※無理に読まなくて大丈夫
『推し』という言葉と、そこに絡んだ“同担拒否”の話(前編)
この前、記事を書き上げる最中に──
あることに気づいてしまった。
私には「6の感覚」がない。


この気づき、けっこう衝撃だった。
だって、推しの話をしてたのに、最終的に「自分の境界」の話になったから。
体験(実験してみた)
えっと……自分、おかしいのかな?と思って、
推し以外の組み合わせでも試してみた。

- 仕事と遊び → 1
- 自然と私 → 3
- 私と子ども → 小さい頃は9、今は5
いろいろな組み合わせで試したけれど、
どれも「6」はなかった。
本題(推しと私)
そして話を戻そう。
6って、推しと自分の丸が完全に重なること?
推しと同じ形になって、同じ大きさになるってこと?
……いやいやいやいや……とんでもないな。
推しと自分は全く別の人間であり、一緒にするなんて私にはありえない。
対等……も、たぶんない。
私があるとしたら、1か3か9。
その根底には「尊敬と敬意」。
感覚の整理
3や9のように“溶け込む感覚”はある。
でも、6のような「一体化」は──やっぱりない。
重なることと、同一化することが
私にとっては、あまりにもおこがましくて、ありえないことだった。
気づき(心理の裏側)
ここで気づいたのは、
私にとって「推し」は、
“同化する対象”ではなく“尊敬して眺める存在”だったということ。
…そうか…
近づきたい、認知されたいという気持ちはきっとある。
でも実際、距離は自分からは詰めない。
たしかに、それは今までもそうだった。
たぶん私は、“一体化”という感覚そのものが、どの対象に対しても薄いのだと思う。
これは、推し活の話じゃなくて──きっと「私という人間」の話なんだよな……。
境界を残したまま、想うということ
私には「6(完全に重なる感覚)」は、今のところ思いつかない。

でもそれは、相手を突き放しているからではなく、
むしろ相手を尊重しているからだと思っている。
境界を大事にしながら、
相手の輪郭をそのまま大切にしたいからこそ、
“あなたはあなた”として見ていたい。
そういう距離感の中で、
私は相手を大切にしたいのだと思う。


