📎 この記事は前回の続きです。
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[『推し』という言葉と、“同担拒否”を構造で見てみた話(前編)]
前回は、「同担拒否」という感情がわからなくて、 でもそれは愛の深さの差じゃなくて、 推しと自分の”位置関係”の話なんじゃないか── というところまで来ました。
今回は、DoubRingの9パターンを使って、 まず「推しと私は、どこにいるのか」の
位置確認をします。
他のファンの存在は、この記事ではいったん全部外します。 シンプルに、推しと自分、ふたつの円だけ。 自分が推しをどう感じているか、という内面だけにフォーカスします。
※図の「主」は「推し」のことです。当時のノートの書き方のまま載せてます。

9つのパターンは、ざっくり3グループに分かれます。
分離──交わらない(1・4・7)
円が交わらないグループ。 推しは、自分の外側にいる。
好きだけど、あの人はあの人。 配信でライブを眺めるだけとか、
作品世界を静かに鑑賞している感じ。
惹かれてはいる。 でも、自分の世界とは分かれている。

交差──少し重なる(2・5・8)
推しが、自分の中に少しだけ入っているグループ。
ふと曲を聴くと元気が出るとか、 セリフが背中を押してくれるとか。
日常の小さなところに、推しの影響が出ている状態。
「特別」というより、「共にある」に近い。
生活ごと、少し影響を受けたりするのもここかなぁ。

包絡──どちらかが包む(3・6・9)
どちらかの円が、もう片方を包んでいるグループ。 ここ、包み方が2方向あります。
ひとつは、推しが自分を包むパターン。
会場の空気と音と光に飲み込まれている観客みたいに、
自分が「推しという大きな世界」の中の一人になっている状態。
もうひとつは、自分が推しを包むパターン。
作品や曲や言葉が心の核にあって、 自分の世界の一部として推しを抱えている状態。
他人がどう思おうと、自分の中の推しは変わらない。
そして、その真ん中にあるのが6。
推しと自分の円が、完全に重なっている状態。
包む・包まれるの方向すらなくて、境界がない。
「推し=自分」になっている。

ちなみに私の場合、位置は動く
この位置、固定じゃないんですよ。 たとえばライブだと──
入場前は、分離(1)。あの人は遠い世界の人。
開演中は、包まれる(3)。世界の中に自分が溶ける。
帰り道も、まだ(3)。もう終わってるんだけど、まだ世界から出られてない(笑)
家に帰って、(9)。自分の心の中に、大事にしまい込む。
数時間のあいだでも、推しとの距離はスライドする。
だから「自分はこのパターン!」と固定しなくて大丈夫。 「いまの自分は、ここにいるっぽいな」 くらいの感覚でいい。
数時間のあいだでも“主との距離”はスライドします。

他者を抜くと、見えてくるもの
他のファンを抜いて考えると、 対人感情じゃなくて、「内面の位置」が見えてきます。
外側から見ているのか。
一部になっているのか。
包んでいるのか、包まれているのか。
この「推しとの位置」が決まると、 あとから他のファンが入ってきたとき、
どこで違和感が生まれるのかが整理しやすくなる。
※この本に「DoubRing」の概念そのものが詳しく書かれているわけではなく、
感情や構造を“整理して見る”という考え方のベースとして
『具体と抽象トレーニング』の考え方を参考にしました。
次の記事で、いよいよ「他のファン」を登場させます。
同担拒否は、どの位置で起こるのか。
(後編へつづく)


