同じものを見ているのに、世界が違う。共感性羞恥を強く感じる人と、あまり感じない人。

「線画で描かれた横顔の女性のイラスト。中央に『同じものを見ているのに、世界が違う。共感性羞恥を強く感じる人と、あまり感じない人』というテキストが配置されている。」 コラム

コレを読んでいるあなたは、
自分は共感性羞恥がある」と自覚している人ですか?
それとも、
「それってなぁに?」というタイプですか?

恋愛ドラマの“あの場面”(※詳しく知りたい方はこちらの記事もどうぞ)で
思わず目をそらすのか、
ワクワクして続きを見たくなるのか──。

同じシーンを見ているはずなのに、
感じ方がまったく違うのって、不思議ですよね。

今日はその「感じ方の違い」を、
できるだけ軽く、静かに書いてみようと思います。


私は昔、自分が共感性羞恥を持っているなんて知らなくて、
普通にみんなと同じようにテレビを見ていました。

でも、いつの間にか
“変な汗が出る場面”があったり、
“見てられない瞬間”があったりして。

「なんでこんなに気まずいの?
 私だけこんな感じなの?」

そんな違和感だけが、先にあったんですよね。

それでも当時は、
流行っているドラマは見ておいたほうが
明日みんなと話が合うし、
そのほうが自分にとって“楽”だったから、
とりあえず合わせて見ていました。

でもね、見てるうちに、やっぱり無理するのなんかヤダなって思った。
そもそも「なんで合わせて見てたんだろう?」っていう疑問が出てきた。

みんなが面白いと言うから、とりあえず見て、
次の日に合わせて話す。
当時はそれが“普通”だと思っていたけど、
よく考えたら、私は恋愛ドラマそのものが好きなわけじゃなかった。

自分は医療モノが好きでよくみる。
そこに恋愛を差し込んでくるのをみると
「あーもう、なんだよー」って思う。

はい、そこでまたこんな事思いました。

「まぁ、みんな同じように感じてるわけじゃないよね」って。

私みたいに
・気まずくなる
・見てられない
・変な汗が出る
というタイプもいれば、

まったく逆で
・ワクワクする
・ドキドキを楽しめる
・“青春いいな〜!”と素直に受け取れる
っていうタイプもいる。

でね、この「感じ方のルートが違う」という話を
もう少し自分の感覚で言うと──

私は、あのシーンを見ると
“演じている側”の気持ちに勝手になりきってしまうんだと思う。

舞台の観客として見ているはずなのに、
気づくと自分が“舞台に立つ側”にいることを想像してしまう。
実際には表舞台に立ったことなんてないし、
役者さんが本当はどんな感覚でそこに立っているのかなんてわからない。

それでも、
「もし自分があそこに立たされたら…」という想像が
勝手に動き出してしまう。この勝手にが、肝。(自分だってこんな想像したくない。)
そのせいでドキドキしたり、恥ずかしくなったりする。

一方で、こういう体験がまったくない人もいて、
そういう人はちゃんと“観客席”のまま見られる。
気まずさが直撃しないし、
ひとごととして軽やかに楽しめる。


どちらも間違いじゃないし、どちらもおかしくない。
ほんとうに、ただ“立つ位置”が違うだけ。
受け取る感覚が、少し違うだけ。

だから、
「なんであんな気まずいシーンを普通に見られるの?」
と思っていた相手のことも、

「あぁ、この人は“ちゃんと観客席のままで見られるタイプなんだ”」
と理解できるようになる。

逆に、共感性羞恥がない側からすると、
「なんでそんなに見てられないの?」という疑問が、

「この人は“自分がそこに立つみたいに感じちゃうだけなんだ”。
 脳が勝手にそう反応してしまうだけなんだ」

と、少しだけ想像してもらえると嬉しいです。
 

そんなふうに、
“違い”を知っているだけで、
相手にかける言葉も、自分の心の置き方も、
すこしだけやわらかくなるような気がします。

今日はこのあたりで、一旦終わりにしたいと思います。