なんで私はこんなに見てるんでしょうね?🤷♀️ハイキュー🏐
アニメって、そんなに見てこなかったはずなのに。
ハイキューだけは、何度も、何度も見返してるんですよ。
好きだからなの?
いや好きだけども!
何回見るのよ…
見過ぎじゃない?🫣笑
その理由を、自分なりに言葉にしてみました✨️
安全第一で見てただけなのに、なぜ
💡きっかけは、「子どもと一緒に見ても安心なアニメ」を探していたことだった。
✅「バレーのアニメかぁ…面白いかなぁ…🤔」
✅「ルールとかあんまり詳しくないしなぁ…🤔」
✅「なんでこんなに人気なんだ…🤔?」(見る前まではほんと散々思いました、すみませんね💦🙇♀️)
どうせ見るなら私だって楽しみたいし、見てる時間無駄にしたくない…とか思う笑
まぁでもスポーツアニメだし、健全そうだし。よっしゃ見るか〜って思って見始めたのが、きっかけだった。
アニメ見てこなかったんかい、自分
私、元々アニメをあまり見ない人。 子供の頃は主要なテレビは一通り見てきたけど、大人になってからは映画派。 洋画や海外ドラマはまぁまぁ見てたけど、アニメはすみません、見てません💦🙇♀️
そんな私が、ハイキューは好きになった。 しかも、何回も見返すという不思議な現象。
なんでこんなにハマってしまったのか? その理由がずっと、自分でもわからなかった。
けど、ブログを書くようになって、なんとなくだけど、 なぜ好きなのかが少しずつ解明されてきてるような気がしている。
登場人物たちが「自分の中の誰か」だった
ハイキューのキャラって、特別じゃない。 超能力もなければ、突然変異の天才でもない。
🏐影山はバレーに関してはストイックで天才かもだけど、他は普通の高校生。あんだけ空間認知能力高いのに、方向音痴なとことかくすっとする笑
🐗日向は猪突猛進型で、コンプレックスの壁に何度もぶつかるけど前向き。多分自分で前向きって気づいてないと思う笑
👱ツッキーは冷めててひねくれだけど、実は心の奥に熱を抱えてる。
⛰️山口は控えめなんだけど、でもちゃんと勝負に出てる。
…なんか、みんな「自分の中の一部」みたいだった。
私自身にも、ちょっと冷めてるところとか、ツッキーっぽい部分がある。
「本気ってなんかちょっと恥ずかしい」と思ってた時期もあったし、
それをキャラが代弁してくれた気がして、「あ、私にもこういうとこある」って思えた。
💥たとえば、本気で頑張ってる人を見ると、なんとなく距離を置いてしまう。
💥「すごいな」と思ってるくせに、「自分にはできないし」って斜に構えてしまう。
でもそれって、 本当は「自分もそうなりたいけど、できない」っていう悔しさの裏返しだったのかなぁと、 ツッキーを見て気づいた。
空気・演出・ツッコミのセンスまで心地いい
ツッコミのセンスが、自分の笑いのツボと妙に合うところも好きだったりする。
キャラのかけ合い、オーディエンスの反応、試合中のちょっとした小ネタ。
誰も傷つけない笑い。悪者が出てこない世界。 試合は緊張感あるのに、全体としてはどこか平和。 でも見ていると、自分の中の熱いものもこみ上げてくる感じ。
そのバランスが、なんだか心地よくて。
だからこそ、安心して夢中になれるのかもしれない。
それから──音楽。描写。声優さんの演技。これがまたいいのよ🤦♀️
どれもが、本当に丁寧で熱くて、心を動かしてくる。
音楽が流れるタイミング、セリフの間、プレー中の動きや視線。
どれも「わかってるなぁ…!」って唸る演出ばかりで、 気づけば画面の中に引き込まれてた。
結局、全部なんだよね。
細部まで好きが詰まってて、「もうこれ以上足すものないな」って思えるくらい、完成されてる。
ハイキューの時間感覚と“思考”がリンクする
たぶん、実際にバレーをやっている人から見たら、
「こんなプレー現実には無理でしょ」とか
「試合展開、こんなに間延びしないよ」って思うところもあると思う。
でも、ハイキューは“試合”を描いてるというより、 その裏にある“心”を描いてる作品なんだと思う。一瞬のプレーに込められた選手の思考や葛藤、 その“内側の時間”を丁寧に描いてるからこそ、あの“スローに感じる時間”が生まれてる。
そう、私は「人の思考がどうなっているのか」が気になる人なので、 それが垣間見えて面白いのだ。
メタ認知的なキャラたちと、自分の重なり
ハイキューのキャラたちは、どこか“メタ認知的”でもある。
🧍♂️ツッキー:「どっかで冷めてる自分」を自覚してる
→ その上で“本気の人間”を見てしまって動揺する
🏐影山:「自分が怖い」「自分のズレ」をわかってる
→ だからこそ、修正しようとする意識がある
💭山口:「自分が何もしてない」って気づいてる
→ でも「何かしたい」と思って、行動し始める
彼らの「気づき」の瞬間や、「自分を変えよう」とする過程が、 観ている私にも静かに響いてくる。
私はこの、解明している段階を見るのが好きなんだなと思う。
青春も感じる “部活アニメ以上の何か”
どこか“青春”を感じるのもいい。 ただの部活アニメじゃなくて、
全力でぶつかって、笑って、悩んで、成長していく姿に、
「ああ、いいなぁ…」って素直に思う自分がいる。
そんな描写があるから、私は何度でも見返したくなるのかもしれない。
最後に、わかったこと
ハイキューのキャラって、 誰かを見てるようで、実は自分を見てる感覚になる。
自分の中の「悔しさ」
「まだ届かない感じ」
「頑張っても報われるかわからない怖さ」
それがキャラたちの一言や表情に重なって、 気づいたら心がぎゅっとなってた。
ハイキューは、なんかこう…
自分、こうなりたかったよね…を可視化してくれてるアニメなんだろうな。
あきらめたふりをしてた自分に、
それでも、まだどこかで「願ってるんでしょ?」って
問いかけてくるような。
あなたは、どう感じていますか?
💡少し自分の思いを言葉にしてみました。なかなか想いって言葉にするの難しいですよね✨
これを読んで自分はこう思ったなぁ〜
うまく言えないけど、なんか引っかかったな〜とか。
そんなふうに、何かひとつでも感じてもらえたらうれしいです。☺️
…なんでこんなに見てるのか、今もたまにわからなくなるけど、
たぶん私は「わかる」よりも、「感じていたい」んだと思う。
だからまた、ハイキューを見て、誰かの感情の動きに自分を重ねて、
自分の中にある“まだ言葉になってないもの”と向き合っているのかもしれない。
非公式のファンブログです。
