「ちゃんとやんねん」──聞き流せたらよかったのに、できなかった。
くり返す声が頭の中で響く。
ちゃんと、ちゃんと。…でも、私はどう?
んーと、まって…
ここまで“ちゃんと”を連発してきたけれど、あんまり繰り返すのもあれだから💦
そろそろ別の言葉に変えていくよ。
あしからず、いや、むしろお楽しみに🫣笑
でもまぁ正直に言うと、
私はこの回を見るのが少ししんどいときもあった
「きちんとしてない自分」はずっと、心の中にいた
自分のことを
「しっかりしてる」なんて思ったこと、ほとんどない。一ミリもない🤦♀️。
むしろ「私なんて…」って卑下することの方が多い。
「丁寧にやる」が重く感じていたあの頃
若い頃は、「毎日やる」って言葉が重く感じた。
できない自分を責めるくらいなら、最初からやらないほうが楽だった。
それでよしとしていた。
今、この言葉を聞くと心にほんの少し痛みが
チクッと刺さるほどではない ズンっと重い感じでもない
昔の古傷が痛む感じに似てる…?あんまり怪我したことないけど笑 そんな感じ
…
それがどうしてなのか、自分でもちょっと考えてみたくなった。
たぶん、それは
“傷ついたもの”が癒えてきていて
“これから継続的にやろうとしてる”から。
昔なら素通りしてたこの言葉が、
悔しさと希望がまざって、立ち上がりたくなってくる。
届かなかった過去があるから、今の自分がいる
昔、この言葉が重く感じたのは、
たぶん「できてない自分」を突きつけられたような気がしたから。
“きちんとやってる人”が言う言葉に見えて、「そんなの無理だよ」って、どこかで心を閉じてたんだと思う。
今思えば——
あのときの私は、
本当は自分にもっと向き合いたかったし、頑張りたかった。
でもそれがうまくできなくて、
怖くて
ずーっとじぶんから楽な方へ逃げてきてたのかもしれない。
プレッシャーに感じるあなたに
もちろん、「ちゃんとやんねん」が、
誰にとってもやさしく響く言葉だとは思っていない。
たとえば——
「もう既にやってるし、それでも報われてないんだよ」
「もう、これ以上…更にまた努力しろってこと?」
そんなふうに感じる人も、きっといると思う。
精神的に追い込まれているときには、
この言葉は“追い打ち”のように聞こえてしまうこともある。
「言葉が届かない」ことに、罪悪感はいらない
あるいは、
「ちゃんとやるって何?」
「なんのために?誰のために?」
モチベーションを見失っていると、
そもそもこの言葉が“入ってこない”ことだってある。
もっと言えば——
「私はこつこつ、やろうとしたことすらない」
「だからこの言葉を受け取る資格がない」
と感じる人もいるかもしれない。
聞こえないんじゃなくて、“聞けない”時ってあると思う。
自分を守るために、言葉をシャットアウトしてるだけかもしれない。
あの頃の私へ
今まで述べた言葉は、昔の私の心の声でもある。
「私は続けることすらしたことない」って、自分のことを、そうやって見限っていた時期がある。
でも今は、
あの頃の自分をそっと振り返って、
「それでも生きていたんだよね」
って言ってあげたい。
言葉が沁みるタイミングは、人それぞれでいい
「なんとなく、いまいちわからない」
「うーん、インパクトには欠けるかな?」
そんなふうに、ピンとこないことだってある。
でもそれでいい。
言葉って、“その人の今の場所”によって、
響いたり、届かなかったりするものだから。
響かないのは、心が閉じてるからでも、努力が足りないからでもない。
ただ、今はそのタイミングじゃないだけ。
今なら、この言葉を受け取れる
そして私は、いまこの言葉が残った。
歳を重ねて
やっと自分の中に入ってきた。
昔なら跳ね返してたかもしれない。
でも今は、静かに受け取ることができた。
それが、自分にとっては、少しだけうれしかった。
飾らないから、まっすぐ届いた
「ちゃんとやってる」って胸を張れない日もある。
でも、「できる範囲で続けてる」って思えている。
誰にも気づかれなくても、
何も報われなくても、
やるしかない。
名言だけど。背景があるからこそ響く
だから今は、この言葉を
「続けてやろうとしてる人」たちに、そっと渡したい。
それが
“まだ届かない人”
を置き去りにするわけじゃなくて、
「いつか、自分のタイミングで届いたらいいね」っていう、
ちいさなエールとして残しておきたい。
じわっと来るようになったのは、たぶん、今の自分になったからなんだと思う。……
北さんの言葉はどれも短くて、淡々としてるけど、
実は全部、“背景があるやりとり”の中で生まれたもの。
そのことをわかってる人にはもちろん響くし、
初めて触れる人にも、少しでも伝わったら嬉しいなと思う。
緊張なんかする意味がわからん。
コレだけ聞いたら、ん?ってなるけど
いつも以上の力を発揮しようとするから緊張するんやろ。
あ〜…納得☺️
練習でできてることやったら緊張なんかせんやろ
普段通り、いつも通りってやつ?
体調管理できてへんことを褒めんな。
アツムが風邪引いたときに言ってたね☺️周りからは冷たいって言われてたけどw
けど差し入れ置いてたりとか…☺️するんよ…優しすぎんか…
毎日やんねん。ちゃんとやんねん。
体調管理、掃除、片付け、あいさつ、バレーボール
気にせんでええ、あれは信介の儀式やから…って監督?先生が言うんだ。
グッとくるんだよこのくだりは…。
ユニフォームもらって泣くとか… ポロポロ涙流すのよ 🤦♀️
反復、継続、丁寧は心地ええんや。
……この言葉だけは、正直まだちょっと未知の世界。
私、飽きっぽいからさ(笑)
続けるって、そんなに簡単じゃないな〜って思ってる。これができる人まじで尊敬する。
結果よりも過程が大事って大人がいうて、子どもはイマイチ納得せん。
でも俺は大人に大賛成や。
俺を構築すんのは毎日の行動であって、結果は副産物に過ぎん
これは、私も過程が大事と思ってる。結果、どうでもいいわけではないけど、過程に重点を置いてる。
ただ、言い回しが深くて好き…。
喝采はいらん。ちゃんと、やんねん
※本文中のセリフは一部抜粋・要約しています。
※引用元:『ハイキュー!!』 古舘春一/集英社
ええっと…
これは高校生の考え方ですか?
いくらおばぁちゃんっ子だからってねぇ…?
人生何回目なんだよ〜なんなんだよ〜🤦♀️
それでも、今日もきちんとやろうとしてる。
それだけで、今の私にはじゅうぶん。
『ハイキュー!!』は、原作は漫画で、アニメ化された作品。
だから形式的には「アニメ」なんだけど——私にとっては、それ以上の“何か”だった。
誰かの言葉が、物語を越えて、自分の中に入り込んできた。
……この“入り込んでくる”感じ、わかる人いるかな。
いやぁ…どうなんだろうね(笑)
なんでこんなにハイキューばっか見てるんだろう?って、
自分なりに理由を掘り下げてみた回です🏐😇↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓