「なんでハイキューばっか見てるの?」って自分に聞いてみた話

ハイキュー

「なんでハイキューばっかり見てるんだろう?」
ふと、自分に問いかけてみた。

アニメって、そんなに見てこなかったはずなのに
ハイキューだけは、何度も、何度も見返してる。

その理由を、少しだけ言葉にしてみたくなった。

きっかけ:アニメと距離のあった私

きっかけは、「子どもと一緒に見ても安心なアニメ」を探していたことだった。

「バレーのアニメなんだよね?」 「ルールとかあんまり詳しくないしなぁ…」

まぁでもスポーツアニメだし、健全そうだし。せっかく見るなら面白いといいな…って思って見始めたのが、きっかけだった。

なぜか何度も見返している自分がいた

私、元々アニメをあまり見ない人。 子供の頃は主要なテレビは一通り見てきたけど、大人になってからは映画派。 洋画や海外ドラマはまぁまぁ見てたけど、アニメにはハマらなかった。

そんな私が、ハイキューにはのめり込んだ。 しかも、何回も見返すという不思議な現象。

なんでこんなにハマってしまったのか? その理由がずっと、自分でもわからなかった。

けど、ブログを書くようになって、なんとなくだけど、 なぜ好きなのかが少しずつ解明されてきてるような気がしている。

登場人物たちが「自分の中の誰か」だった

ハイキューのキャラって、特別じゃない。 超能力もなければ、突然変異の天才でもない。

影山はバレーに関してはストイックで天才かもだけど、他は普通の高校生。
日向は猪突猛進型で、コンプレックスの壁に何度もぶつかるけど前向き
ツッキーは冷めててひねくれだけど、実は心の奥に熱を抱えてる。
山口は控えめで、でもちゃんと勝負に出てる。

…なんか、みんな「自分の中の一部」みたいだった。

私自身にも、ちょっと冷めてるところとか、ツッキーっぽい部分がある。

「本気ってなんかちょっと恥ずかしい」と思ってた時期もあったし、

それをキャラが代弁してくれた気がして、「あ、私にもこういうとこある」って思えた。

たとえば、本気で頑張ってる人を見ると、なんとなく距離を置いてしまう。
「すごいな」と思ってるくせに、「自分にはできないし」って斜に構えてしまう。

でもそれって、 本当は「自分もそうなりたいけど、できない」っていう悔しさの裏返しだったのかなぁと、 ツッキーを見て気づいた。

空気・演出・ツッコミのセンスまで心地いい

ツッコミのセンスが、自分の笑いのツボと妙に合うところも好きだったりする。

キャラのかけ合い、オーディエンスの反応、試合中のちょっとした小ネタ。

誰も傷つけない笑い。悪者が出てこない世界。 試合は緊張感あるのに、全体としてはどこか平和。 でも見ていると、自分の中の熱いものもこみ上げてくる感じ。

そのバランスが、なんだか心地よくて。

だからこそ、安心して夢中になれるのかもしれない。

それから──音楽。描写。声優さんの演技。やーばい

どれもが、本当に丁寧で熱くて、心を動かしてくる。

音楽が流れるタイミング、セリフの、プレー中の動きや視線

どれも「わかってるなぁ…!」って唸る演出ばかりで、 気づけば画面の中に引き込まれてた。

結局、全部なんだよね。

細部まで好きが詰まってて、「もうこれ以上足すものないな」って思えるくらい、完成されてる。


ハイキューの時間感覚と“思考”がリンクする

たぶん、実際にバレーをやっている人から見たら、

「こんなプレー現実には無理でしょ」とか

「試合展開、こんなに間延びしないよ」って思うところもあると思う。

でも、ハイキューは“試合”を描いてるというより、 その裏にある“心”を描いてる作品なんだと思う。一瞬のプレーに込められた選手の思考や葛藤、 その“内側の時間”を丁寧に描いてるからこそ、あの“スローに感じる時間”が生まれてる。

そう、私は「人の思考がどうなっているのか」が気になる人なので、 それが垣間見えて面白いのだ。

メタ認知的なキャラたちと、自分の重なり

ハイキューのキャラたちは、どこか“メタ認知的”でもある。

🧍‍♂️ツッキー:「どっかで冷めてる自分」を自覚してる
→ その上で“本気の人間”を見てしまって動揺する
🏐影山:「自分が怖い」「自分のズレ」をわかってる
→ だからこそ、修正しようとする意識がある
💭山口:「自分が何もしてない」って気づいてる
→ でも「何かしたい」と思って、行動し始める

彼らの「気づき」の瞬間や、「自分を変えよう」とする過程が、 観ている私にも静かに響いてくる。
私はこの、解明している段階が好きなんだなと思う。


青春も感じる “部活アニメ以上の何か”

どこか“青春”を感じるのもいい。 ただの部活アニメじゃなくて、

全力でぶつかって、笑って、悩んで、成長していく姿に、

「ああ、いいなぁ…」って素直に思う自分がいる。

そんな描写があるから、私は何度でも見返したくなるのかもしれない。


最後に、わかったこと

ハイキューのキャラって、 誰かを見てるようで、実は自分を見てる感覚になる。

自分の中の「悔しさ」
「まだ届かない感じ」
「頑張っても報われるかわからない怖さ」

それがキャラたちの一言や表情に重なって、 気づいたら心がぎゅっとなってた。

ハイキューは、なんかこう…

自分の“芯のあたり”を軽くトントンってされるような作品だった。


結局、なんでこんなに惹かれるのかは、

まだ全部は言葉にできてないけど。


でも確かに、何か大事なところに触れてくる。

あなたは、どう感じていますか?
あなたは、なぜハイキューが好きですか?



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※アニメ『ハイキュー!!』の内容に心を動かされ、自分の感じたことや気づきをまとめた
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